情熱大陸 難波ひでふみの寿司店(「鮨 なんば」)は9か月先まで予約が取れない人気店

2020年11月8日の情熱大陸は、予約が9か月先まで取れない「鮨 なんば」の鮨職人、難波英史(なんば・ひでふみ)。

東京・阿佐ヶ谷で、「鮨 なんば」をオープンし、 “味は銀座、値段は中央線”と言われるほど「超コスパの良い店」として知られ、1年先まで予約が埋まる超人気店になりました。

2018年の春、日比谷(東京ミッドタウン内)にもお店を構え、鮨職人として、更なる高みを目指しています。

高級鮨の激戦区に打って出たことから、自分の店の特徴を出していかないと生き残れないと、ネタと、シャリの徹底した温度管理にこだわっていることを、全面的にアピールすることにしました。

かつて、阿佐ヶ谷でのお店では、つまみ7品、すし13貫で、1万円程度だった”おまかせ”を、3万円超の価格に設定し、ネタとシャリの温度管理にこだわった美味しい鮨を供し、以前にも増して、人気のお店となっています。

難波が、鮨職人として目指す高みとは、どんなところなのでしょうか?



情熱大陸 難波ひでふみ(寿司職人)の名店での修行経験がない、異色のプロフィールと「鮨 なんば」の場所

難波英史(なんば・ひでふみ)は、1974年、杉並区荻窪に生まれています。

定時制高校に通いながら、地元の寿司屋でアルバイトを始め、鮨の世界の奥深さに魅せられ、20歳より鮨職人を志し、都内のすし店数軒で修業をしています。
難波には、名店での修行経験はありません。

寿司のいろはを学んだ地元の店(松寿司)は、もう廃業していました。

難波の修業時代に親方だった、榎本雅俊(えのもと・まさとし)さんは、難波の苦労をこんな風に語っていました。

「彼は、サウスポーなんですよ。だけど、寿司屋の包丁は、片刃のために左利き用は、特別なしつらえで、高いんですよね。右にしたらって勧めて、その時は右にしていました。箸や包丁持つのも右にして、ずいぶん苦労していました。ほんとに一生懸命に、いろんなことを覚えようとして、先輩や同期の人間に負けまいとやっていたのをすごくよく覚えています」

難波は言います。
「当時は、人に負けたくないという気持ちが、すごく強くて、今でもあるのですが、ロールキャベツみたいに、オブラートに包んでいますね」

32歳(2007年)に独立し、地元の荻窪に「鮨 なんば」をオープン。

カウンターだけの小さな店でしたが、地元の企業の社長などに贔屓にされて、繁盛しました。
少し手狭になったため、2011年に阿佐ヶ谷に移転しました。

そして、2018年に、東京ミッドタウン日比谷に店を構えました。

阿佐ヶ谷のお店は、一緒に働いてきた仲間に任せています。

ご家庭では、3人の子どもの父親です。

帰宅の遅い難波は、子どもたちと触れ合う機会がなかなかなく、一番下の小学生の男の子は、甘えるのに少々遠慮があるようでした。

驚いたことに、自宅に置かれたいくつものダンボールの中から、広い机いっぱいに、寿司や魚の雑誌や本が出てきました。

高名な師匠についたことのない難波は、寿司にまつわるあらゆることを、本で学び、技術を高めていました。

難波が言います。
「15年位前ですね。寿司と言う雑誌は全て買っていました」
“神田鶴橋”、“すきやばし次郎”、“すし処おざわ”、名店の本を読み、書き留めたノートに、ひたむきさを感じます。

ノートには、自身で、鶴や亀の形に切ったバランが、張られていました。

書物で知った技は、何でも試してみたと言います。

絵入りで、丁寧に描かれたノートは、既に、難波の中に入っているのでしょうが、難波の地道な足跡が伺えて、感動しました。

番組スタッフが、「人に相談をしなかったんですか?」と質問すると、難波は、「僕は、そうですね。人には、相談しなかった」と答えていました。

難波は言います。
「修業当時、難波と同じ志のある鮨職人がいなかった。だし巻き卵じゃなくて、鮨屋の卵焼きを焼きたいと言っても、協力してくれる若い先輩がいなかった。あと、お店で粉わさびを使っていても、僕は、本わさびを使いたかった。お店に相談すると、そういう店ではないから、ダメだよと言われたりして」

当時、難波の馴染みのお客に握る時には、自分で買いに行った本わさびを使っていたと言います。

何人かいる職人の中で、難波だけが独自でやっていたために、波風が立つこともあったとか。

それでも、こうやったほうが、お客が喜ぶ、とどんどんと追求したい想いが、先にたったと言います。

波風を立てることが、自分のマイナスになる、と考えがちですが、彼は、自分の想いを追求する道に踏み出したのですね。

難波の、お客を喜ばせるには、感動してもらうにはどうしたら良いのかを、追求し続けるスタイルは、今も変わりません。終わりのない道を歩き続けている彼に、お客は感動するのかもしれませんね。

「鮨 なんば」
住所:東京都千代田区有楽町1‐1‐2 東京ミッドタウン日比谷3階
電話:03‐6273‐3334(予約制)
営業時間:ランチ12:00~15:00(L.O.14:30)、
ディナー17:00~23:00(L.O.22:30)
定休日:毎週月曜日/毎月第1火曜日



情熱大陸 難波ひでふみの予約が取れない寿司店(「鮨 なんば」)のこだわりと評判

「鮨 なんば」で会食を終えたお客が、次の予約を取ろうとして、9か月先まで満席なことに驚いていました。

「9か月待っても食べに行きたいけど、本当は待たずに来たい」、「本当に、来年6月まで席がないの?」と、お客が聞き直すくらいの、また来たいお店。

番組では、難波の握る鮨の味わいを、こんな風に表現していました。
『ほどよく熟成させた最高級の本マグロは、口に含めばとろける味わい。コハダの上に朧がかかっているので、最初口に入れたとき甘みが来て、あとから酸味が襲い掛かってくる。心憎いひと仕事が、ネタの魅力を、一段と引き立てている。呼子(佐賀県)のイカは、透けるように薄く下ろし1ミリ幅に包丁を入れる。これを4層に重ねて、一貫分。複雑な舌ざわりと、ねっとりと増した甘味は、筆舌に尽くしがたい』

あ~味を想像するだけでも、よだれが出そうです。
食べに行きたい。1年待っても!

そして、難波は独創的なアレンジで、お客に新しい味を提供していました。

〆に、出すチラシと玉子に、創意工夫をこらしていました。

名付けて、「難波特性オムチラシ」

カウンター席のお客から、「すご~い、何、何?」と声があがります。

炙り穴子を乗せたチラシを、半熟卵で包んだものを大皿に用意していました。

それを、小皿に取り分けて、お客に供します。

カウンターに座るお客から、「バターとか使ってないんですよね?」と質問されると、
難波は、「バターとかクリームは、使っていないから、けっこうあっさり、甘みがあるくらいで」と答えます。

「なぜ、こんなことをしようと思ったんですか?」の問いには、難波は「大体寿司屋は、穴子と卵が出て終わりが多い。だったら、変わった終わり方をしてもいいかなぁと思って」と答えていました。

1つの個室以外のお客は、全員カウンター席に座っているので、お客は、難波と直接会話を交わせるし、難波もまた、お客の満足そうな顔や声を、間近に見聞きすることができるんですね。

2018年に、東京ミッドタウン日比谷に店を構えた時に、難波は、他の店との差別化を図るために、お品書きにネタとシャリの温度を書き、温度にこだわっていることをアピールすることにしたと言います。

お品書きに、温度をかくことで、鮨はネタとシャリが寄り添って究極の一貫になることを、お客に伝えるのと同時に、お客からの質問や味の感想を聞く機会も増えたのだとか。

「今日のメニューです」と、難波は、お客一人ひとりに、お品書きを手渡しします。
そこには、握りそれぞれに、温度が記されています。

左がシャリで、右がネタの温度です。

味も香りも異なるネタを、最高の状態で楽しめるよう、店では、一貫一貫に厳密な温度管理を施しています。

例えば、蛤(はまぐり)は、身の柔らかさを保つために、40度で4分煮詰め、火からおろしたら、18度まで下がるのを待って、これを37℃に調整したシャリと合わせ、素早くお客に出しています。

マグロのトロは、24℃。

高めの温度設定は、上質な脂を舌の上で、すぐ溶かすのが狙いだと言います。

ネタが24℃に、合わせるシャリは40℃。

ご飯は、マグロのためにわざわざ別に炊いていました。

「このトロはすごく香りが上がってきます」と難波はお客に伝えます。

味わいだけでなく、かけられた手間ひまを想像するお客は、満足そうな表情を浮かべていました。

創意工夫な遊び心は、こんなところにも。

焙り(あぶり)たてのノリに、いくらとシャリを乗せ、手巻きでほおばる演出は、お客を幸せな気持ちにさせます。

「めちゃくちゃおいしい」、「今まで食べたお寿司で一番おいしい」とお客から、直球な褒め言葉がかけられていました。

1℃刻みの温度の変化で握られる鮨に、難波の、お客により美味しく、楽しく鮨を味わってもらおうという、こだわりが籠(こも)っているんですね。
だから、お客も自然、鮨だけに集中し、堪能する、そんな店なのだなと感じました。


情熱大陸 難波ひでふみが、握る寿司に見える独自の哲学

難波が独立して東京・阿佐ヶ谷に店を構えると、10,000円のお任せコースが、料理雑誌に絶賛され、グルメサイトの口コミから人気に火がつき、たちまち評判になりました。

“味は銀座、値段は中央線”と言われるほど「超コスパの良い店」として知られ、1年先まで予約が埋まる超人気店になりました。

難波は、最初は嬉しかったと言いますが、後からは、嫌になったと言います。

コスパという、「安くて美味しい店」はいいけれど、「安くて」は、いらないのではないかと思ってたと言います。

「安くて、普通にうまいよ、じゃなくて、突き抜けてうまいよ」こう言われたい、次のステージにいきたいと思ったそうです。

“東京ミッドタウン日比谷”の3階に「鮨 なんば」はあります。

目立たない入り口をくぐると、無駄のない空間には、カウンターが8席と小部屋1つあります。

昼夜の営業を、難波と5人の職人たちで支えています。

鮨の要となるシャリには、まろやかな赤酢を使っています。

米の甘みを活かすために、砂糖は入れないと言います。

そして、なんと!飯台ではなく、金ボウルで、酢飯を作っていました。

さらに、木べらではなく、プラスチック製と思われるヘラでシャリを切っています。

難波は言います。
「木の飯台だと、酢を吸っちゃうので、シャリがばらつくんですよね。ボウルだとステンレス製なので、酢を吸わなくて、シャリだけに酢が入ってくれる」

「木べらを使うよりも、プラスチックのヘラを使った方が、断然シャリもきれいに美しく切れるんで」

「木の方がかっこよく見えて、オーラ感も出るけれど、プラスチックで作っても、おいしいものはおいしい」

旨さに必要なことを、合理的に判断して、用いていました。

難波は以前、口コミサイトに書き込まれた「一流のオーラがない」という言葉に、ショックを受けたと言います。
「あー、一流のオーラが、俺はないんだなぁ。だけど、一流のオーラってなんだろう」と考えたと言います。

しかし、難波は、一般的に言われる高級鮨職人が持つオーラとは異なる、独自のオーラを確立して、突き抜けているのではないか、と私は思いました。

見栄などにこだわることなく、ただ、自分が目指す鮨を作るために一番良い方法を選択する!という難波のしなやかな強さを感じたように思います。

魚の熟成の仕方にも、工夫がありました。

店の味を決めるのは難波だが、魚の扱いについては、若手に任せることも多いと言います。

魚を扱っていたのは、若手の滝本成希。
魚の状態を見て、塩を使わずにペーパーの種類を変えて脱水をしているのだそうです。

脱水1つにも5種類のペーパーを使い分けていました。

滝本は、これは、自分の提案と言います。自分で、仮説を建てて、やっていく中で、美味しくしあがったりするのが、嬉しく、楽しいと言っていました。

「毎日が楽しい」と若手に言わしめているのは、難波が若いころに、お客のために様々に考えたことが、なかなか実践しえなかったことからの、学びがあるのかもしれないな、と私には思えました。

番組スタッフが、「鮨職人の条件は?」と問いかけると、難波はこう答えました。
「大きく考えると、思いやりがあるとか。そうなっちゃいますね。お客さんに対して、仲買人に対して、店の若い衆に対して、家庭とかに、仏のようになれる人が、良い職人なのかなと思います」

意外な答えでしたが、難波らしい、こだわりと信念だなと思いました。


情熱大陸 難波ひでふみが、寿司と向き合う姿勢は、お客を喜ばせる“探求心”と“誠実さ”

番組の取材中に、お店で、予約のダブルブッキングが起きました。

この事態を引き起こしたことに、番組スタッフが、「人気店として、驕り(おごり)があったのではなかったのか」と問いました。

難波は、ただ静かに、でもきっぱりと答えていました。
「何ヶ月先まで予約が埋まっていて、調子に乗っている、天狗になっていると思われるかもしれないけれど、そんな事は、一切ないです。毎日毎日、お客さんがいらして、必死です。今日、満足して返さないと、またちょっと変わった感動与えないと、次はないと言う覚悟はあります」

テレビには出してくれるな、と言われてもおかしくは無い出来事にもかかわらず、難波は、最後まで誰にもグチ1つ、こぼしませんでした。

店の若い衆の失態といえども、自分の失態とじっと自分の中に納めて、ただ、目の前のことに、ただ真っすぐに誠実に対応する難波の姿がありました。

難波が大切にしているのは、“探究”の2文字だと言います。

10月半ば、難波は、長野県東御市の田んぼを訪れていました。

全国から取り寄せた米を試し炊きしたところ、ここでとれた米が、際立って美味しかったのだと言います。「初めて食べた時、米粒がすごく大きく、噛んだときの食感が良かったし、甘みもあって」

酪農も手掛ける生産者は、「一番は土作りですね。自分のところで牛を飼っていて、完熟した1番良い堆肥を田んぼに返して、そこからまた米作りができる」と言います。

生産者を訪ねたのは、向こう1年分のシャリに、使えるかどうかを確かめるためでした。

シャリを変えて、メニューに加える新作を準備する現場にカメラが入りました。

用意されたネタは、これからが旬のホッキ貝(北海道 長万部産)でした。

難波は、ホッキ貝は、高温で湯通しすると、味がすごく良くなる、化けると論文か何かで読んだと言います。

そのホッキ貝を、驚いたことに、200度の油にくぐらせました。

3秒ほどで、すぐに冷水に取り、身が締まったら、油抜きをします。
寿司ネタの中では、赤貝とか鳥貝に比べればホッキ貝は上等ではないと言われていますが、難波は、北海道の長万部のホッキ貝は、美味しいと言います。

これを、同じホッキ貝のヒモで、出汁(だし)をとった煮汁に、一晩漬け込みます。

難波の工夫で、ホッキ貝は甘味をぐんと増し、味に厚みが出ていました。

ホッキ貝を初めて店のメニューとして出した日、お客は全員、ホッキ貝の鮨の虜になっていました。

「今日は、良かった。みんな喜んでくれた」と難波は、嬉しそうに目を細めて語っていました。

探求の結果、お客の笑顔を引きだせた時、その喜びは例えようがないのだろうな、と思いました。


情熱大陸 難波英史(なんば・ひでふみ)(「鮨 なんば」)を観て

鮨職人になるには、どこで修業をしたのかが、バリューになるらしいのですが、難波英史は、自身で鮨を探求し、臆することなく、独自の美味しさを追求していることに、常識を打ち破る強さを感じます。

多くを器用に語るわけでなく、その想いを全て鮨で語るかのような難波に、ゆるぎない鮨職人としての覚悟を感じ、いつ行っても旨い鮨が味わえるに違いない、という信頼と安心を感じました。



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