2020年9月6日の「情熱大陸」は、戦国の石垣づくりの技を継ぐ石工、粟田純德(あわた すみのり)です。
粟田純德は、滋賀県大津市の坂本を拠点に活動をしている、“穴太衆(あのうしゅう)”の技を唯一引き継ぐ、株式会社粟田建設の15代目社長です。
“穴太衆”とは、戦国時代に活躍した石工集団で、織田信長の「安土城」の石垣をつくりその名を高めたといわれています。
加工しない自然石を使った強固な積み方が特徴の石垣で、全国の城づくりに大きな影響を与えたとも言われます。
粟田家は、坂本を門前町とする比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の石積みの仕事を代々請け負ってきたほか、新しい城が造られなくなった現代では、全国にある城の石垣修復を手掛けてきています。
最近では、奈良県の郡山城や、地震の被害にあった熊本城の修復、岡山県浅口市にある寺院の石垣造りなどを受注しています。
また、海外での施工にも取り組んでおり、ポートランド日本庭園拡張工事を始め、2010年には、アメリカで実施したワークショップで野面積の頑丈さと芸術性が評価されて、ダラスのロレックス社の施工もしています。
情熱大陸 粟田純德のプロフィール
粟田純德は、1968年、滋賀県生まれ。地元の中学校を卒業後すぐに、祖父・粟田万喜三氏に師事。2005年に父で14代目の粟田純司より会社を受け継ぎ15代目を継承。現在、株式会社粟田建設代表取締役。趣味は、サッカー教室に通う息子の試合観戦。仕事終わりの一杯が至福のひととき。
(出典:MBS 情熱大陸 石の声を聴け―戦国の石垣づくりの技を継ぐ石工 粟田純德より)
株式会社粟田建設の会社概要と、沿革は以下のとおりです。
【会社概要】
名 称 株式会社粟田建設
所在地 520-0113
滋賀県大津市坂本3丁目11-29
法人設立 昭和47年10月1日
資本金 10,000,000円
代表取締役 粟田 純徳
認可事業 土木一式工事
建築とび工一式
石工事
造園工事
営業内容 城郭・社寺・一般邸宅石垣石積及び修復工事
特殊工(曳家、揚揃、素屋根掛工事)
大小宅地造成工事・その他土木
建築工事全般にわたってご相談承ります
TEL 077-578-0170
FAX 077-579-1379
e-mail info@anoushu.jp
URL http://www.anoushu.jp/【沿 革】
江戸時代初期 阿波屋喜兵衛創業
明治6年4月 屋号『桶万』に変更
昭和9年8月 粟田万喜三、十三代目継承
昭和39年4月 社名『粟田建設』に変更
〃 責任者に粟田純司就任
昭和47年10月 有限会社に変更
粟田純司社長就任
平成17年6月 株式会社粟田建設に変更
粟田純徳社長就任と第十五代目継承
史跡関連主要工事
- 特別史跡安土城跡石垣修理工事
- 国定史跡篠山城跡石垣修理工事
- 国定史跡朝倉敏影居城石垣修理工事
- 国定史跡彦根城石垣修復工事
- 国定史跡竹田城跡石垣修復工事
- 国定史跡和歌山城石垣修理工事
- 国定史跡高知城跡石垣修復工事
- 国定史跡洲本城跡石垣修復工事
- その他各都市の城郭石垣修理工事
- 延暦寺・三井寺・西教寺・善光寺他石垣石積工事
- 公園、河川、一般住宅石垣石積工事
情熱大陸 粟田純德の石積みの技術、隈研吾も虜にする穴太衆(あのうしゅう)唯一の伝承者の腕前
石を積むただそれだけでコンクリートより頑丈な石垣を作る、穴太衆の技は、誰にも真似できないといいます。
織田信長は、そんな穴太衆の腕に惚れ込み、召し抱えて、あの「安土城」を築いたと言います。
以来、彼らは全国の城に携わっていきます。
“天空の城”と言われる兵庫の竹田城は、穴太衆が積んだ石垣の代表作です。
彼らのおかげで時を長らえていきた石垣は多いといわれています。
穴太衆唯一の伝承者である、粟田純德の卓越した技術は、世界的な建築家、隈研吾も虜にしています。
アメリカで手がけた隈研吾の作品、ロレックスタワー(アメリカテキサス州)には、粟田が現地で指揮した石垣が生かされています。
石による造形は、色や形が多様に組み合わされて、独特の風合いを見せています。
隈研吾は、粟田の匠の技について、こう評しています。
「僕が石垣に臨む自然さみたいな。人間が加工したという要素が消えていて、天が石を割ったみたいな感じの自然さを感じさせるのは、粟田さんだけだなぁと思う」
粟田は、2019年春、奈良県大和郡山市にある豊臣秀吉の弟の居城跡の石垣の修復作業に携わりまた。
解体前の写真を手がかりに、石垣の痛みの原因を見極めながら、石を積み直していきます。
扱う石は、優に数百キロはあり、時に2tにも及ぶといいます。
こんなに重い石を相手にしているのに、上下左右のバランスがわずかでも狂えば、石垣は風雪を耐えきることができません。
石積みの作業は、経験だけを頼りとする繊細な仕事なのです。
積み石が割れてしまった石垣を再現するには、隙間を埋める必要が出てきます。
その隙間を埋めるために、代わりの石を探さなければなりません。
そのために、現場には、大小様々な石が用意されていました。
ここで、粟田の匠の技が発揮されます。
粟田は、様々な石の中から補強のための石を選んで、ワイヤーで吊るし、20センチほどの隙間にはめ込みます。
すると、驚いたことに、石はぴたりとはまったのです。
長さを測ったわけでもなく、隙間の画像を見ながらでもなく、そして、何度も石を選び直すわけでもなく。
穴太州に長く伝承されてきた教えに、“石の声を聞け”という言葉があります。
粟田は言います。「長いことやっていたら、石の声が聞こえてくる」
無数の石から、そこに置かれるべき石があげる声を聞き取ることができるなんて、神業とも言うべき技術です。
そして、その技術は、常にその感覚を養って、鍛錬しているが故に極められているということなのでしょう。
「死ぬまで修行なんでね。もっともっと極めたいですよね」粟田の言葉は、穴太衆の技を伝承してきたものたちの声を代表しているかのように聞こえるのは、私だけでしょうか?
尽きることのない匠の技を極めることに、人生をかけてきた人たちの想いそのものに感じました。
情熱大陸 粟田純德が語る「石の声を聴け」穴太州に伝承された教えとは?
石積みの技には、自然石をそのままのかたちで使い、堅牢で美しく石垣を積み上げる「野面積」があります。
他の技もあるのですが、地震や豪雨への備えを考えた時「野面積」がもっとも耐久性にすぐれていると粟田純德は言います。
このような素晴らしい技術なのですが、形と大きさが異なる自然の石をそのまま使うため、穴太衆にはマニュアルがありません。
粟田純德の祖父で、13代目だった万喜三は「石の声を聞く」と言い残しています。
粟田純德は、「石を見る目を養う。どれだけ石を観察しているかが重要だ」ということだと思っているといいます。
穴太衆にとっての究極は、たとえば100個での石で作る石垣の完成図をイメージして、山からイメージに合う石をもってきて、それらをひとつも余らせずにピッタリと合わせて積み上げることだそうです。
そんなことができるのでしょうか?
個性があればあるほど、それが生きてくるために、あえて悪い石を使うこともあるのだとか。
粟田純德は、言います。
「石積みは、人間社会と一緒なんです。大きい人もいれば小さい人もいる。性格のいい人も悪い人も。それらが組み合わさったのがこの世の中で、だから面白い」
2020年1月、粟田は、岡山県浅口市の伝教大使最澄の創建と伝えられる明王院から、山門に向かう百数十メートルにわたる参道に、石垣を積む注文を受けました。
石垣の修復と違って、設計から全て、粟田に任されていました。
石の選択や配置に、思う存分腕を振るうことができます。
穴太衆積みの伝承に、「石は二番で積め」という言葉があります。
この言葉には、400年も持つ石垣の強さが秘められています。
石の重心が、少しだけ奥になるように積むようにすると、崩れたり、滑り落ちたりすることがないのだそうです。
今であれば、物理的に(よくわかりませんけど)証明が可能なのかもしれませんが、そんな学術的な研究がされていたわけではない戦国時代に、既に穴太衆は、この感覚を研ぎ澄ませて、石積みに活用していたなんて、本当に驚きます。
自然石を使うことを原則とする穴太衆積みは、無機質な石積みであるにもかかわらず、美しさとぬくもりが感じられます。
粟田は言います。「美しさやきれいさは、人や時代によって変化するもの。何を持って美しいと言うか。バランス、1番は強度ですね」
石がそれぞれの役割を果たし、ごく自然に個性を光らせることが美しさだと、粟田は言っているのではないでしょうか?
情熱大陸 粟田純德が伝える400年の石工の技を心意気
4年前最大震度7の激震で、大きなダメージを受けた熊本城の復興にも、粟田は尽力をしています。
2019年10月、現地で、穴太衆積みを学ぶ研修会が開催されました。
粟田は、強固な石積みの技を広めることにも、積極的に取り組んでいます。
石工の地位を上げたい、と粟田は強く願っています。
石工の仕事は、3Kと言われてしまうのだとか。
粟田は、穴太衆は10年20年で壊れる石垣を作っているわけではない、何百年も持つ石垣を作っているんだ!その匠の技と誇りを、未来に堂々と繋いでいきたいと考えています。
今は、石だけに向き合って、生活をするのは難しいのが現実だと言います。
生活のためには、土木も勉強して、仕事を請け負う必要もあります。
粟田の想いが実現するかは、実際のところは分からないのかもしれませんが、未来を見据えて石のようにじっと、たじろぐことないその姿から、粟田は確実に穴太衆の石積みの技術を、誇りを持って伝承していくだろうと、私は思わずにはいられません。
情熱大陸「石の声を聴け―戦国の石垣づくりの技を継ぐ石工粟田純德」を観て
穴太衆唯一の伝承者である粟田純德に課された、責任の重さや、その技術へのあくなき探求心にくぎ付けになりました。
400年分の人の想いを受け継ぐっていったいどんな気持ちなのでしょうか。
想像することができません。
ただただ、この技術と誇りが後世に引き継がれることを願ってやみません。
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