グレーテルのかまど クロカマンド(チョコレート菓子)はナポレオンが作ったお菓子

2020年11月16日の「グレーテルのかまど」は、「ナポレオンのクロカマンド」。

ナポレオン・ボナパルトは、フランス革命後の混乱を収拾し、1804年5月、皇帝になった軍人です。
「クロカマンド」は、そのナポレオンが、作らせたと言われているチョコレート菓子なのです。

「クロカマンド」は、フランス王室御用達、パリ最古のチョコレート店で、今も人気を誇っています。

ナポレオンが作った、今も人気の「クロカマンド」とは、どんなお菓子なのでしょうか?




グレーテルのかまど ナポレオンのクロカマンドはどんなお菓子?

「クロカマンド」は、どんなお菓子なのでしょうか?

フランス語で「クロカマンド」とは、“カリカリとしたアーモンド”と言う意味。

その名のとおり、砂糖を絡めてキャラメリゼしたカリカリのアーモンドを、ダークチョコレートでコーティングした、小さなチョコレート菓子です。

口に入れて噛んだ瞬間、カリカリっという音と共に、アーモンドの香ばしい香りが広がります。

「クロカマンド」は、お祝いの時に食べるチョコレートとして、昔からたくさんのファンがいるそうです。

お祝いの時に食べるのはなぜ?

それは、ナポレオンが、戦の勝利を記念して作らせたチョコレート菓子だから。

ナポレオンが、「クロカマンド」を作らせたのは 200年余り前の1807年。

この年、ナポレオンは、フリートラントの戦いで、ロシア軍に圧勝し、ヨーロッパの絶対的な覇者になりました。

ナポレオンは、「我にショコラありせば、他の食料を断つも可なり」、と言ったとの逸話もあるほど、チョコレート好きと伝えられています。

何でも、夜、ホットチョコレートを飲みながら、戦略を練るのが習慣だったとか。

当時、チョコレートには薬効もあると言われていました。

加えて、ナポレオンは、効率よく栄養を取ることが可能なことも知っていたようです。

長期の遠征をしていたナポレオンは、自分の軍隊に、生粉末のチョコレートを軍用食として携帯させていた、と言われています。

ナポレオンは、チョコレートが勝利を呼んだと思って、勝利の記念に、チョコレート菓子を作らせたのかもしれない、と私は思います。


グレーテルのかまど パリ最古のチョコレート店に伝わるナポレオンのクロカマンド誕生秘話

パリの中心にある、サンジェルマンでプレ地区に、1800年創業のパリで最も古いと言われる、チョコレート専門店「DEBAUVE & GALLAIS」(注1)があります.

(注1)DEBAUVE & GALLAIS
創業以来変わらない“ボンボンショコラ”を始め、マリー・アントワネットが薬を包んで飲むために作られた“ピストル”など、チョコレートの種類は、200種類以上。王室御用達として、代々王侯貴族に愛されてきた。「DEBAUVE & GALLAIS」の建物は、ナポレオンの御用建築家が手がけ、国の指定文化財。

ナポレオンは、この店に、フリートラントの戦いに勝利した、記念のお菓子を作るように依頼をしました。

このチョコレート菓子誕生の秘話が、この店に代々伝わっているそうです。

9代目店主、ベルナール・プーサンさんが、「クロカマンド」誕生の話をしてくれました。

「ナポレオンからの依頼に、有名な皇室料理人カレームと、この店の創設者のドォボーヴが、話し合って、アーモンドとチョコレート組み合わせることを、世界で初めて考案しました。
当時は飲み物だったチョコレートを、固形にするという斬新なスイーツでした。」

飲料として飲まれていたチョコレートに、砂糖を入れたことから、チョコレート菓子になり、大ブームになったと言います。

ナポレオンは、貧しい家の出で、あまり贅沢な食物を知らなかったことから、これを献上した時は、大喜びだったと伝えられているそうです。

ナポレオンは、今も人気のチョコレート菓子を作った人、ともいえるのでしょうか。

本当にすごいですね。お菓子にまで、影響を与えているなんて。



グレーテルのかまど アブキール、ジャンドゥイオット(ジャンドゥイヤ)、ナポレオンにまつわるチョコレート菓子たち

チョコレート好きなナポレオンにまつわる、チョコレート菓子を見てみましょう。

まずは、アブキール(Aboukir)

1799年 ナポレオン軍が エジプトのアブキールで勝利したことを記念して作られたケーキです。

さすが、ナポレオンです。

戦いの勝利に、チョコレート菓子とは。

これは、スポンジ生地を切って、マロンクリームを塗ってはさみ、コーヒー風味のフォンダンで覆い、ホイップクリームを搾り、ピスタチオのみじん切りを飾ったケーキです。

贅沢な材料で、今でも美味しさがうけるのではないかと思うのですが、残念ながらあまり見かけなくなっているのだそうです。

続いては、ジャンドゥイオット(Gianduiotto)。

1806年、ナポレオンは、産業革命で潤っていたイギリスを封じ込めるために、大陸諸国の貿易を禁止する「大陸閉鎖令」を発令し、海上封鎖をしました。

おかげで、ヨーロッパの市場に、カカオ豆が出回らず、価格は高騰していきました。

そのトバッチリを受けたのはイタリア、トリノ市民。

トリノのチョコレート産業は、大打撃を受けました。

何とかチョコレートが、安価に作れないかと考えて、思いついたのが、地元ピエモンテ州特産のへーゼルナッツを、チョコと一緒に練り込んで、少ないカカオを嵩(かさ)増しして、チョコレート菓子を作ることでした。

ここで生まれたチョコレート菓子が、ジャンドゥイオットです。

「必要は発明の母」だったということでしょうか?

こんな、国どうしの争いから、甘くて美味しい、現在にいたるまで人気のチョコレート菓子が生れるなんて。
チョコレートは、あらゆる人を魅惑するスイーツなのですね。

今も、世界中で人気のチョコレート菓子で、日本でも手軽に食べられます。

バレンタインデーなどでも、活躍しているのではないでしょうか?

ジャンドゥーヤとジャンドゥイオットの名は、コンメディア・デッラルテや謝肉祭、人形劇に登場する、トリノとピエモンテ州を象徴する同名のキャラクター、ジャンドゥイヤ(Gianduja)に因るとされる。

出典)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



グレーテルのかまど ナポレオンは無類のチョコ好き!暗殺計画もチョコレートで?

チョコレートが、フランスへ渡ったのは、17世紀初頭と言われています。

滋養強壮によい「薬」とされ、大変高価なものでした。

ナポレオンは、カカオのかけらをお湯で溶いた、ホットチョコレートを好んだと言います。

夜な夜なホットチョコレートを飲みながら、戦略を練ることで知られていましたが、この習慣に、目をつけて、暗殺計画を企てた人物がいたといいます。

結婚の約束までしたと言う、同じコルシカ島出身の恋人、ポーリン・リォッティです。

約束を果たさないナポレオンに、恨みを募らせて、暗殺計画を企てたのでした。

その手段に選んだのが、ナポレオンが毎日飲んでいた、ホットチョコレート。

しかし、ナポレオンに気づかれ、計画は失敗。

青山学院大学準教授の福田美雪さんは、こう言っています。
「ナポレオンは、非常に敵の多い人物でしたから、その生涯で分かっているだけでも、20を超える暗殺計画があったと言われています。
その中には、本当に実行されて未遂に終わったものもあれば、真偽定かでないものもありますが、ナポレオンが、日常的にたしなんでいたホットチョコレートに、毒を入れて暗殺しようとしても、不思議ではないと思います。」

敵が多い人が、好みを知られてしまうのは、怖いものです。。。


グレーテルのかまど 「ナポレオンのクロカマンド」を観て

ナポレオン・ボナパルト。フランスを築いた歴史上の人物であることは知っていましたが、身近なチョコレート菓子を生み出した人物であることに、驚きました。

何気ない生活の中に、時を超えてもたらされている恩恵がたくさんあることに、改めて気づきました。



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