グレーテルのかまど 室生犀星が好んだ「ようかん」から見える世界は?

2020年12月28日の「グレーテルのかまど」は、「室生犀星のようかん」。(初回2020年1月13日放送)

室生犀星といえば、詩人であり、小説家、と文学に関わる人と、昔、教科書で学んだなと思う人もいるかと思います。

私は、文学に携わる人たちは、舌が肥えている、というイメージがありますが、室生犀星は、無類の「ようかん」好きだったのだとか。

「ようかん」を、夜の隅田川に例えてみたり、友人に催促するはがきを送ったりしたのだそう。

番組では、犀星が好んだ「ようかん」を通して、小さなものに対して、温かな視線をそそいだ詩人の人となりを、見ていきます。




グレーテルのかまど 室生犀星(むろう さいせい)のふるさとへの想いとプロフィール

室生 犀星(むろう さいせい)は、1889年に、石川県金沢市に生まれました。

父は 元加賀藩の下級武士、母は その家の使用人でした。

生後 間もなく実家近くの寺に 養子に出されます。

厳しい養母は 手を上げることもしばしばだったことから、優しかった母に 恋い焦がれていました。

養子先と実家は近所で、犀星は、養子先に隠れて、よく実家に来ていたといいます。

自伝的小説「幼年時代」には、養子に出された主人公が、幾度も実家を訪れる様子が描かれています。

<茶棚から菓子皿を出して客にでもするように、よく、ようかんや、もなかを盛って出してくれるのであった。母は どういう時も 菓子は器物に入れていつも特別な客にでもするように、お茶と添えてくれるのであった>

しかし 犀星が9歳の時 実の父が亡くなり母にも会えなくなります。

犀星にとって、やさしさと懐かしさの象徴が、「ようかん」だったのかもしれません。

そして、番組では、犀星が実家に帰って母が用意した「ようかん」を食べたシーンも、そうあって欲しいとの願望から書かれたのではないかと、最近の研究で言われているとコメントされていました。

犀星の故郷(ふるさと)や、温かな家族を求め、恋しがる切ない思いが、伝わってくるように思いました。

そういえば、犀星の有名な詩に、ふるさとを想うものがありました。

「ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
そして悲しく うたふもの」 [小景異情(その一.)]

この詩に犀星の想いが象徴されているのかもしれません。

明治22年8月1日、金沢に生まれた犀星は、生後まもなく真言宗高野山派、千日山雨宝院にもらわれ、養父母のもとで育ちました。高等小学校を中退して12歳で働きはじめた犀星は、文学への思いを募らせて20歳で単身上京、生活苦にあえぐなかで数々の詩をつくりました。

『愛の詩集』『抒情小曲集』などの抒情詩は大正期の詩壇を牽引し、さらに小説家としても活躍しました。その作品は抒情的な作風の「幼年時代」や「性に眼覚める頃」などの初期小説、市井鬼ものと称される「あにいもうと」などの中期小説、「杏つ子」「かげろふの日記遺文」「蜜のあはれ」など次々と新しい境地を拓いていった晩年の小説など多岐にわたり、随筆、童話、俳句にもすぐれた作品を残しています。

不遇な出生をのりこえて描かれた犀星文学は、故郷の山河に対する深い思いや、小さな命、弱いものへの慈しみの心があふれ、人生への力強い賛歌ともなっています。

出典)室生犀星記念館WEBサイト



グレーテルのかまど 芥川龍之介は室生犀星(むろう さいせい)の金沢の「ようかん」好きに感服!

無類の「ようかん」好きで知られる室生犀星。

どれくらいかをあげてみました。

金沢市にある犀星の生家跡は、現在、記念館になっています。

室生犀星記念館の名誉館長を務める、孫の室生洲々子(すずこ)さんによると、犀星にとって 和菓子の中でも「ようかん」は特別な存在だったといいます。

「金沢は、お正月に福梅(ふくうめ)や、夏に食べる氷室饅頭(ひむろまんじゅう)など、饅頭を食べる習慣が、生活の中に根づいています。(犀星は)その金沢に育っているので、甘いもの、「ようかん」が好きだったのではないかと思います。どこの店の「ようかん」だって当てられるほど、好きだったのかもしれないですね。」

また、こんな話もあります。

犀星は、夜の隅田川の流れを

「ようかんのように 流れている」

と、表現しました。

この表現に、芥川龍之介は、「この表現を超えることはできない」と感服したのだとか。

確かに、夜の川の流れは、「ようかん」のように水面が静かで重々しい感じだと、時代が変わっても納得の表現だと思います。

そんな芥川龍之介に、犀星は、金沢の九谷焼の鉢を送り、こんな言葉を添えています。
「これへは、ようかんを入れなさい。真ん中にちょっと五切ればかり、真っ黒いようかんを入れなさい」

「ようかん」が生活にも文学にも、あらゆるところに登場するのが、犀星らしいというのでしょうか。

犀星は、生涯、金沢を「ようかん」を懐かしんで、親戚や友人に催促の手紙を出していました。

俳句仲間に宛てた手紙には、葉書からはみ出そうなカタカナで、「フジムラノヨウカンタノム」と書かれていました。

こんな句も。
「ようかんを ねだる胡瓜(きゅうり)とささげかな」
胡瓜とささげを送るから、「ようかん」を送ってほしい、という句です。

すごーい!「ようかん」への深い愛を感じます。

そして、犀星の愛は、「ようかん」に向けるのと同じくらいに、家族や周りの人々、作品に注がれていたのだと感じます。

「ようかん」を送ってもらえば、丁寧にお礼状を出す。

原稿は締め切りまでに提出する。

犀星の妻、とみ子は、娘にこんな言葉を残していました。
「お母様ほど幸せな女はいませんね。父様がとっても優しい人だから」

生活のひとつひとつを大切にしていたんですね。


グレーテルのかまど 室生犀星が愛した金沢のお菓子

室生犀星が好んだ、金沢のお菓子、いろいろです。

お汁粉

金沢の老舗のお汁粉は、犀星のお気に入りでした。

芥川龍之介が金沢を訪れた時も、お汁粉で もてなしたといわれています。

芥川龍之介も、その美味しさに感激したと伝えられています。

落雁

こちらは 金沢が誇る伝統のらくがん。

胃潰瘍で入院した犀星は、薬の苦さに耐えかねて落雁と一緒に薬をいただいていたのだそうです。

甘党すぎて、苦いものは苦手だったということでしょうか?

チョコレート

室生家では 5月に、あやめのつぼみを最初に見つけた人に、犀星から ご褒美のチョコレートが渡されたのだそうです。

そして、編集者や作家など、室生家を訪れる人にも、女性限定で渡していたのだとか。

ハイカラな感覚を持っていたんですね。室生犀星は。

きっと、女性陣は大喜びだったと思います。

 

甘いもの好きが好むものを、犀星はよ~く知っていたということでしょうね。


グレーテルのかまど 「室生犀星のようかん」を観て

室生犀星、名前は聞いたことがありましたが、どんな人だったのかを良く知りませんでした。

その生い立ちから、周りの人を大切に愛溢れる世界を作っていた人だったのではないかな、と思いました。


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