題名のない音楽会 佐藤晴真、藤田真央、服部百音3名の出光音楽賞2020受賞者が初共演!

2020年8月15日の「題名のない音楽会」は、2020年に出光音楽賞を受賞した、3名の若手音楽家が共演しました。

出光音楽賞は、将来有望な音楽家の登竜門といわれており、第30回(2020年)の受賞者は、佐藤晴真(さとうはるお・チェロ)、服部百音(はっとりもね・ヴァイオリン)、藤田真央(ふじたまお・ピアノ)の3名です。

3名は、既に国際的なコンクールに上位入賞している実力充分の若手です。

佐藤晴真(チェリスト)は、2019年9月ミュンヘン国際音楽コンクールチェロ部門で日本人として初めて優勝し、藤田真央(ピアニスト)は、2019年6月チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で第2位を受賞。服部百音(ヴァイオリニスト)は、13歳の時に飛び級でノボシビルスク国際コンクール、シニア部門に参加し最年少グランプリを受賞しています。

技術もさることながら、表現力にも圧倒的なパワーを感じた3名の演奏を堪能しました。

題名のない音楽会 出光音楽賞2020受賞者の初共演の響き

出光音楽賞とは、どのような賞なのでしょうか?

出光音楽賞:1964年に放送開始した「題名のない音楽会」の25周年を記念し、1990年に「出光音楽賞」を制定しました。この賞は、わが国の音楽文化向上の一助として、将来有望な若手、新進音楽家の活動を支援していきます。第30回までに106名・一団体が「新進音楽家の登竜門」をくぐっていきました。
(出典:出光昭和シェル 出光興産株式会社のHPより)

今までに106名と1団体もの新進音楽家が受賞していますが、その錚々たるメンバーは、国内外で目覚ましい活躍をしていて、この賞が果たす役割の大きさが伺えます。

佐藤晴真(チェロ)、服部百音(ヴァイオリン)、藤田真央(ピアノ)の3人は、「第 30 回出光音楽賞 受賞者ガラコンサート」が、新型コロナウィルスの影響で、2021年度に延期されたことから、2020年8月15日の「題名のない音楽会」が記念すべき初共演となりました。

歴史的な瞬間ですね、きっと。

まず、藤田真央は、高度なテクニックを要する曲で個性のぶつかり合いを思う存分楽しみたいと、3人で演奏する演目として、M.ラヴェル作曲「ピアノ三重奏曲」第4楽章を選曲。

高度な技術と呼吸感を求められる難曲に挑んだ3人の演奏に、山田和樹(指揮者)は、音楽が羽ばたいてキャンパスの中に収まらず、良い意味ではみ出している感じがしたと解説していました。

山田和樹(指揮者)
2009年9月17日、ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。日本人としては1959年に小澤征爾が優勝して以来7人目。同時に聴衆賞も受賞。第21回出光音楽賞受賞。
(出典:ウィキペディアフリー百科事典)

ここで、服部百音が、藤田真央に質問したかったことが明らかに。
「藤田さんの音は明るくてとっても純粋で、そういう音はどこから出るんでしょうか?」

藤田真央は、「意図的に出そうとは思ってない。むしろ私は暗い曲、悲しい曲に挑戦すると、先生になんてうれしそうに弾くの?と言われてしまう。だから私は悲しい曲が本当に苦手」

反対に服部百音は、「自分が自然体で感情移入するのは、喜怒哀楽の哀と怒が露骨に現れている曲。そういう曲にシンパシーを感じる」

音楽性が正反対だと言う2人の共演曲は、厳粛で力強い響きが特徴の服部さんが得意とする、ロシアの作曲家S.プロコフィエフの「ヴァイオリンソナタ第1番」第2楽章です。

服部百音の勝手な思い込みで、藤田真央がチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で受賞をしていることから、ロシアの音楽が得意だと思って選曲したのだけれども、これをリハーサル時に、藤田真央に伝えたところ、「モーツアルトよりの曲が得意なんだ」と言われしまったという笑い話が。

この曲は、プロコフィエフが第二次世界大戦や、自身の健康の悪化のため、死を身近に感じながら作曲した、ヴァイオリンの名曲です。

また、作曲家自身がすぐれたピアニストでもあったため、ピアノにも高度な技術を求める難曲としても知られています。

服部百音は、この曲は、自分が憧れるヴァイオリニストのオイストラフに捧げられた曲で、演奏するときには特に力が入るといっています。

山田和樹(指揮者)は、2人の演奏を聴いて、演奏に悪魔性(毒みたいなもの)が必要な場合があるのですが、若いのにそれがすでにあって、丁々発止のやり取りで、小さくまとまらずに前に行こうとするエネルギーがすごいと評しました。

最後に演奏されたのが、佐藤晴真が選曲した、R.シュトラウス「万霊節」。
歌曲をチェロとピアノで歌い上げた・・・・・・

世界を舞台に活躍をする3名が、大事にしていることについて、番組で取り上げていました。

藤田真央は、“緊張に負けない反骨心と、何があっても音楽を止めないで聴衆に届け続けること”、服部百音は、“命をかけて演奏する覚悟”、佐藤晴真は、“自分の意見(音楽)をしっかり持つようにすること”だとか。

佐藤晴真が、自身の音楽を大事にすることを強く意識したのは、昨年のミュンヘン国際コンクールの体験からでした。

課題曲で選曲したショスタコ-ヴィチのコンチェルト2番は、マイナーな曲で録音されているものが少なくて、色々と探すうちに、審査員の方々の録音を見つけて聴いてみたそうです。

しかし、自分とは違う音楽に対する意見を持っていました。

自分の表現を貫いて、それで駄目だったら悔いは無いと、審査員に媚びずに自分の音楽を貫いたら、優勝をしたのだと言っていました。

すてきです!

何の確証もなく、ただ自分を信じてトライするというのはなかなかできないことです。怖いですし。

それを全力でやり抜く力や想い、そして、成果を引き寄せてしまう迫力は、とても20代の若者とは思えない貫禄を感じました。

山田和樹(指揮者)も、語り口調は穏やかだけど、熱い信念を持っていて、それを押し通して実現できてしまうことに、感嘆の声をあげていました。

3者3様ですが、その気迫と覚悟に、若者とは思えない重厚なプロ意識を感じました。

題名のない音楽会 佐藤晴真(チェロ)がミュンヘン国際音楽コンクールで日本人初の優勝

佐藤晴真は、1998年、愛知県名古屋市生まれ。4歳よりヴァイオリン、6歳よりチェロを始めています。

2019年、長い伝統と権威を誇るミュンヘン国際音楽コンクールチェロ部門において日本人として初めて優勝して、一躍国際的に注目を集めました。

2018年には、ルトスワフスキ国際チェロコンクールにおいて第1位および特別賞を受賞しています。

権威あるミュンヘン国際音楽コンクール優勝の感想について、彼は次のように語っています。

正直なところ、コンクールで結果を残すこと以上に、これからである聴衆のみなさんに認めていただくことこそが、いちばん難しいことなのだろうと思っています。この結果をはじまりでも終わりでもなく、ひとつのきっかけとしてとらえ、これからも気を緩めず誠実に音楽と向き合っていきたいと思います
この半年間ほどは、ほとんどコンクールにのみフォーカスしていたので、基礎技術から音色、音楽的解釈などを一から見直すことができました。同時に仕上げなければいけない曲数が多くとてもストレスフルな準備期間でしたが、その緊張感とどう向き合うかという“自分との勝負”が上手くできたという印象です
(出典:音楽情報誌 ぶらあぼ 2019年11月号 取材・文:飯尾洋一 より)

彼は、音楽家になるきっかけのひとつに、コンクールがあったと言っています。

小学5年生の時に初めてコンクールに出て賞をもらったことが嬉しくて、もっと上の賞を取りたいという気持ちが芽生え、そこから毎年コンクールに出ていったのだとか。

そして、高校1年生の時に全日本学生音楽コンクールで1位になり、チェロを辞めるという自分はありえなく、続けてきたことが、チェリストという職業につながったのだそうです。

コンクールで優勝するというこだわりが、彼の技術を磨いていったのでしょうね。

しかし、すごいものです。

今、コンクールに出場するのは、自分がどのレベルにいるのか客観的に確かめたいからと、自己を分析する落ち着いた反応に思慮深さを感じます。

好きな演奏家は、伝説のチェロ奏者カザルスとバロックチェロの巨匠アンナー・ビルスマ。音や音楽性にこだわった巨匠たちの表現に理想を求めています。

また、自身が音楽を通じて伝えたいことは何かを考えた時、作品を理解したいという研究意欲が強いので、そこで知ったものを聴衆に紹介したり、提案したりするのが自分の役割ではないかと思っているとのことです。

コロナ渦における演奏家の苦悩を彼も味わっているのですが、彼は、今こそ弾き続けるべきだと熱く語っています。中世から続いてきた文化をこんなことで終わらせていいはずはない、人に勇気や感動を与える側が意欲をなくしてしまえば、音楽はもっと衰退してしまうと危惧しているのです。

あぁ、まるで偉大な音楽家たちの魂が、時代を超え、彼を通じて、メッセージを伝えてきているようです。

題名のない音楽会 佐藤晴真(チェロ)が使用する楽器はどこの?

佐藤晴真は、6歳からチェロを始めたと言っていますが、そんなに小さい時からチェロを弾くなんて珍しいと思い、親からすすめられたのかと思ったのですが、そうではないのです。

ご両親は、高校の国語の教諭。お二人は、大学のオーケストラで出会い、父親はコントラバスを、母親はヴァイオリンを弾いていました。

佐藤晴真は、兄が通うヴァイオリン教室の発表会に行き、そこにゲスト出演していた中木健二のチェロを聴いてチェロに心を奪われてしまい、自らチェロをやりたいと言ったのだそうです。

チェロの音色は人の声に近いと言われています。

佐藤晴真は、自分の声の最低音とチェロの最低音が全く同じで音域がシンクロするので、チェロに一番親近感が湧くと言っています。また、自分の手は横幅があり、指の付け根が揃っているので、チェロを弾くには良い手だと先生にはよく言われるとも言っています。

小さい時からチェロに感動するなんて、よっぽどのシンパシーを感じたのでしょうね。

私はチェロという楽器があることすら、ある程度大きくなるまで知らなかったな。ヴァイオリンしかないと思っていました。

佐藤晴真が演奏している楽器は、1903年製のエンリコ=ロッカです。

すごく分厚い楽器で、鳴らしづらく簡単には音が出ないが、楽器が応えてくれるように弾けば、本当にダイナミックなパワフルな音を出すことができるので、とても気に入っているそうです。

題名のない音楽会 藤田真央がチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門で第2位に入賞した音とは?

藤田真央は、1998年東京生まれ。情操教育と1歳からリトミックの音楽教室に通い、その流れで3歳からピアノを習い始めています。

2017年には弱冠18歳で、第27回クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝し、2019年6月チャイコフスキー国際コンクールで第2位を受賞し、2019/2020シーズンは、ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場と共演しロンドン・デビュー、続いて、ミュンヘン、モスクワ、サンクトペテルブルグ、ソウルなどでもデビューを果たしています。

THE TIMES紙にとりあげられ、
「藤田は素晴らしい表現力と趣味の良い感性を持っており、躍動的で雄弁な詩情と、深みのある解釈を持ちつつ、恐れを知らない大胆な表現ができる。」と大絶賛されました。

また、話題の映画『蜜蜂と遠雷』では風間塵役の演奏を担当し、インスパイアード・アルバム『藤田真央 plays 風間塵』が評判になりました。

小学生低学年のころ、ピアノの先生から、「あなたは音楽の道に進んで行くわね。これからどんなことがあっても音楽を嫌いになってはダメよ」と言われて、ずっと心にこの声があったのだとか。そして、年々音楽を嫌いになるどころか、音楽愛が深まるばかりだそうです。

そして、音楽家になるきっかけとなったのは、コンクール!
佐藤晴真と一緒。

しかし、彼の場合は、人前で演奏する機会が与えられるのが、嬉しかったという理由でした。
聴衆の反応を感じるのが好きだと言います。

そして、藤田真央が演奏で何よりも大切にしているのは、テクニックよりもまず、音がきれいか、どれだけ音が魅力的であるか、なのだそうです。

彼が得意とするモーツァルトの作品は、音数が限られているので、ひとつの音を思った通りに表現できないと、もうその音を出す機会がなくなってしまいます。

ですので、音を出す前に必ず100%こういう音を出す、という”集中力”も大事にしているそうです。

確かに!彼の音は、本当に慈愛に満ちたやわらかさや、若々しいピュアさや弾けるような表現力に満ちていて、聴いていると、どうするとこんな音がでるのかな、と思います。

藤田真央が師事している野島先生から「全ての音を自分が支配して、どういう音を自分が出したいのか、すべての指にそれが伝わり、すべての響きとしてそうなるように」とご指導もいただいているそうです。

自分にしか出せない音・響きに、より一層磨きをかけて、人々に喜びを与えられる、そして長い間愛されるピアニストを目指しているそうです。

好きなピアニストは、ロシアのグレゴリー・ソコロフ。
ピアノという楽器を最大限に使い、音に命が吹き込まれたかのような生きた音楽を感じさせるところや、弾く姿や指運びにも圧倒されるのだとか。

移動時間や、手段にポリシーのあるグレゴリー・ソコロフは、遠い日本まで演奏をしに来てくれそうにないため、現地に聴きにいきたいピアニストなのだそうです。

今は、クラシック音楽を聴く人が数%と言われていますが、何百年に渡って継承され、今でも多くの人が作曲家の名前や曲を知っているのは、何か魅力があるからだと、藤田真央は言っています。

そして、ポップスもジャズも、クラシックから派生した音楽で、全ての音楽の起源であるクラシック音楽が廃れてしまうのは、とても残念なことだと言っています。

幅広い年代の人にとって、クラシック音楽が助けになることがあるのではないか、だから、どんな形でも好きになって貰えたら、という藤田真央の願いも、彼の調べには込められているのかもしれません。

題名のない音楽会 服部百音が母親と二人三脚で歩んだヴァイオリニストへの道

服部百音は、1999年生まれ。5歳からヴァイオリンを始め、6歳で桐朋学園附属子供のための音楽教室に入室し、8歳でオーケストラと初共演しています。

2009年、若干10歳の時に、リピンスキ・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール(ポーランド)のジュニア部門で史上最年少第1位及び特別賞を受賞しています。

そして、2013年、14歳の時に、ヤング・ヴィルトゥオーゾ国際ヴァイオリン・コンクール(ブルガリア)のジュニア部門でグランプリ、特別賞を受賞。

同年、ソリストを目指す若手ヴァイオリニストの登竜門として注目を集めるノヴォシビルスク国際ヴァイオリン・コンクール(ロシア)において、17歳以上が対象のシニア部門に特別参加が認められ、最年少グランプリを受賞。並びに審査員特別賞、新曲賞を受賞しています。

2016年には、CDデビューし、ザハール・ブロン・アカデミーに在籍しています。

見てのとおり、彼女は中学生くらいまでの間に、続々と世界のコンクールで優勝しているのです。
ものすごい天才が現れた!と世間で騒がれるのも無理はないと思います。

そして、彼女は、その家系がまた錚々たるものなのです。

父は、「HERO」「半沢直樹」などのドラマの曲を手がける作曲家である服部隆之(はっとりたかゆき)、祖父は、「ミュージックフェア」「ザ・ベストテン」などのテーマ曲などを手がけた、作曲編集家の服部克久(はっとりかつひさ)、曽祖父には「青い山脈」「東京ブギウギ」「蘇州夜曲」を作り、国民栄誉賞を受賞した服部良一(はっとりりょういち)。

3代続けて作曲家を輩出している家系である上に、母は、元ヴァイオリニストの服部エリという、音楽の道以外は考えられないような環境に生まれ育っています。

しかし、意外にも、家族から音楽を強要されたことはないと服部百音は言います。

赤ちゃんだったころ、すごく泣く子だった彼女は、オイストラフが演奏するチャイコフスキー作曲の「ヴァイオリン協奏曲」を聴かせると、すぐに泣きやんだそうです。

モーツァルト、バッハ、ベートーヴェンの曲では泣き止まなくて、ヴィエニャフスキ作曲の「スケルツォ・タランテラ」のほうがよく聴いていたとか。

この時から、音を聴き分けて、好みがはっきりしていたんですね。いや、おそるべし!
両曲とも、ヴァイオリンのさまざまな音色や魅力が十二分に発揮される曲のように感じます。
彼女がヴァイオリンを選んだのは、生まれながらにして、この音色に魅入られていたのかもしれません。

ご両親は、名前に「音」の字をいれたいと考え、色々な音の宝物に恵まれてほしいという願いを込めて、「百音」と名付けたといいます。

その名のとおり、彼女は、さまざまな音を聴き、表現する道を選択しているんですね。

作曲家である、父親や祖父から、ヴァイオリンの指導を受けたことはなく、父親からは、「出した音には責任を持ちなさい。ステージで100%の演奏をするためには、練習では200%弾けるようになっていないといけない」など、音楽家としてのアドバイスをもらっているそうです。

ヴァイオリンの演奏にかかわる指導は、もっぱら母親から。
音楽家といいながら、作曲家と演奏家は、全く異なるものなのですね。

母親の服部エリは、百音が生れるまでは、プロのヴァイオリニストとして活躍していましたが、子どもを産んで育てることは、神様から子どもを預かり、育てる権利をいただいたのだと感じて、仕事を辞め、子育てに集中することにしたと言います。

百音は生れつき体が弱く、ぜんそく、アトピー、弱視など、病院に通う日々が続いたそうです。
どんなに心配だったことでしょう。
そして、この後、娘が世界をかけめぐりながら、練習にあけくれるような生活をするのに耐えられる体にした、母親の強さに感動します。

幼稚園の時にヴァイオリンを始めた百音に、先生の指導をわかりやすくかみ砕いて伝え、練習して身につけさせたのは母親の服部エリです。そうしていくうちに、演奏家としての感でしょうか?
娘に才能があると感じたといいます。

百音は、8歳の時に、国際的なヴァイオリニストであるザハール・ブロンに才能を認められ、以来、師事しています。

ザハール・ブロンの指導を受けるために、欧州各国を母親と飛び回り、日本に戻ると、母親が指導をするという生活を続けていたそうです。

百音は、小さい時に練習が楽しいと思ったことはない、いつも母とけんかをしていたといいます。
母親は、練習が好きな子どもはいない、でも、厳しい練習を超えてだんだん弾けるようになれば、ヴァイオリンを弾くことが楽しくなってくると信じて、百音を指導していました。

百音は、リピンスキ・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール(ポーランド)のジュニア部門で史上最年少第1位を取った時、一番前で涙を流して聴いていた聴衆に感動したといいます。

自分の音楽で、人を感動させる喜びを始めて知り、将来はプロの音楽家になる想いを、この頃から育て始めたそうです。

服部百音は、日々の練習が唯一自分の自信を裏付けるものだといいます。練習が不足していると思うと、後悔が残って、それが雑念になってステージに現れてしまうのだそうです。

だから、寝る間も惜しんで練習をして、自分を極限まで追い詰めます。

そして、ヴァイオリニストはアスリートと同じといいます。コンクールの間際は、指の関節がパンパンに腫れたり、指先も切れたりして全部の指に絆創膏やシップを貼る時もありますし、痛み止めを飲むこともあるとか。

やっぱりプロは大変!辛いだろうな、と素人の私などは思ってしまうのですが、追い詰めた後の解放感が好きと彼女はいっています。

そうかもしれないけど、過程が耐えられません。。。そこまで自分を追い詰めた経験のない私は、最初から白旗をあげてしまっています。

大人になった彼女は、コンサートに加え、テレビ出演やインタビューなど活動の幅がとても広がり、より一層頑張って演奏しようという気持ちが強まっているそうです。

今までは、好きなだけ練習ができたのですが、これからは、限られた時間の中でどうやって完成度を上げていくのかに取り組む必要があると感じているそうです。

服部百音は、ザハール・ブロンの奏でる音楽は、彼の人間性そのものが表れていて、その話声を聴いている気持ちになるといいます。彼女が尊敬するオイストラフの演奏においても、その音を聴いただけで、「彼の音だ」と分かるように、ヴァイオリニストはそれぞれの音色を持っているといいます。

自分もそんな風に、聴いていただく方の心が温かくなるような演奏をしたい。そして、ヴァイオリンの音色は、さまざまにあって、聴衆にそれを楽しんでもらえるようなヴァイオリニストになることを目指していきたいと語っています。

今後の取り組み隊活動として、ショスタコーヴィチの全曲録音、ラヴェルやプロコフィエフ、ドビュッシーなど幻想的でモダンな作曲家、苦手なモーツァルトやバッハ、ベートーヴェンにも挑戦しようと思っているそうです。

今後の活躍がますます楽しみな20歳の服部百音でした。

題名のない音楽会 「世界が認めた若き才能の音楽会2020」を観て

出光音楽賞を受賞した3名の若い将来有望な演奏家を観て、普段のまだ初々しさが香る姿と裏腹に、自分の音を追求する演奏家としてのプロ魂や、クラシック音楽界を盛り上げるために自身がすべきことを明確に謳える強さに、感動しました。

不振といわれるクラシック音楽ですが、素晴らしい若者たちが、救世主のように現れて、こんなにも熱心に取り組んでいるのは、なんて尊いんでしょう。

思わず、自分にできることは何かないのか?と身の回りを探してみている私でした。

楽曲紹介

♪1:「ピアノ三重奏曲」第4楽章
作曲: M.ラヴェル
ピアノ: 藤田真央
ヴァイオリン: 服部百音
チェロ: 佐藤晴真

♪2:「ヴァイオリンソナタ第1番」第2楽章
作曲: S.プロコフィエフ
ヴァイオリン: 服部百音
ピアノ: 藤田真央

♪3:「万霊節」
作曲: R.シュトラウス
チェロ: 佐藤晴真
ピアノ: 藤田真央

(出典:題名のない音楽会 公式サイト)

偉人たちが残した言葉

新しい発想には新しい形式が必要である。
~リヒャルト・シュトラウス
(出典:題名のない音楽会 公式サイト)

コメント

タイトルとURLをコピーしました