グレーテルのかまど 樋口一葉は「たけくらべ」に出てくる“駄菓子屋”をやっていた!?

2020年9月14日の放映の「グレーテルのかまど」は、“樋口一葉(ひぐち いちよう)の駄菓子屋(だがしや)”。

樋口一葉と言えば、明治時代の小説家です。

そして、彼女は、五千円札にも印刷をされていますよね。

彼女の代表作である、「にごりえ」や「たけくらべ」は、読んだことがなくても、昔、国語の教科書や授業で、作品名を聞いたことのある人は、多いのではないでしょうか?

小説家としてのイメージが強いのですが、彼女は一時期、駄菓子屋をやっていたのだとか。

何だか意外!

当時、彼女は生活が苦しく、今の東京都台東区竜泉寺1丁目あたりで駄菓子屋をやっていたと言われています。

そして、ここでの体験が、「たけくらべ」の中の駄菓子屋で表現されていると言います。

今は、駄菓子屋を見つけること自体が、難しくなってしまったように思います。

懐かしく夢を与えてくれた駄菓子を、楽しんで家で手作りしてみんなで食べるのも、また新しい発見があるかもしれません。

ヘンゼルがどんな駄菓子を作って見せてくれるのか、楽しみです!


グレーテルのかまど 樋口一葉が遺したものとは?

樋口一葉、あまりにも有名で、名前は聞いたことがあるのだけど、どんな人生を歩んだ人なのかを詳しく知る人は、あまりいないのかもしれません。

彼女は、24歳という若さで、肺結核のために亡くなっています。

若くして亡くなっているので、彼女が小説家として活動したのは、実際には1年と少しくらいだったと言います。

そして、明治27年(1894年)12月に『大つごもり』を発表した後からが、彼女が多くの有名な作品を残した、“奇跡の14か月”と言われています。

これは、彼女が亡くなる2年くらい前の時期になります。

「たけくらべ」の連載もこの頃にされています。

多くの作品を、こんな短い期間で書いていたなんて、才能のあるすごい人だったのだな、と思います。

しかし、彼女が小説を書くことにこだわったのは、困窮した生活を支えるためと言われています。

明治5年、一葉は役人の次女として生まれます。

不動産や金融業を商う、裕福な家庭でした。
幼い頃から読書が好きで、学業も優秀でしたが、女に学問は不要という母親の考えから、11歳で進学を諦めます。

悲しむ一葉を見かねた父は、私塾“萩の舎”(はぎのや)に通わせました。

ここでも一葉は、素晴らしい句を詠み、才能を発揮しています。

しかし16歳の時に、兄が病で、その翌年には、事業に失敗した父も急死します。

一葉は、残された母と妹を支え、暮らしを立てていかなければならなくなりました。

針仕事など内職をしますが、実入りは微々たるものだったと言います。

当時の日記に、苦しい家計が記されています。

「昨日より 家のうちに 金といふもの一銭もなし」 一葉の日記より

21歳になると、家賃の安い遊郭の近くに引っ越して、雑貨屋を始めます。

店には、日用品の他に、知人のアドバイスで、駄菓子を置くようになりました。

その駄菓子を求めて、遊郭の街に住む子供たちが、こぞって一葉の店に集まるようになったのです。

その様子を一葉は、こんな風に記しています。

「かざりつくるも遅しと斗(ばかり) かひに来たる子供あり」 一葉の日記より

子供たちは、仕入れたばかりの駄菓子が、店先に並ぶのを、今や遅しと待ちかねていました。

菓子を前にはしゃぐ子供たち。しかし一葉は、この子供たちが、将来辿る道が定められていると言う不条理に気づきます。

文教大学教授加藤理さんは、こう言っています。
「一葉は、それまでの自分が体験したこともない人々の暮らしを見ることになって、社会の矛盾やそこで暮らす人たちの苦しさを知り、自分ではどうしようもない抗えない運命を描くようになっていくようになるんですね。この駄菓子屋での経験が大きかったといえます」

一葉が駄菓子を営んだのは、10ヵ月ほどの短い期間ですが、駄菓子屋でつぶさに見つめた子供たちの姿や、ここでの経験が、数々の物語を育んだのです。

<樋口一葉の生涯>

  • 1872年 5月2日、現在の東京都千代田区で生まれる。
  • 1889年 父の則義が事業に失敗し、同年7月に死去。樋口家を継ぐ。
  • 1891年 文学活動を始め、「一葉」の筆名を使用。小説家として生計を立てるため、東京朝日新聞小説記者の半井桃水に師事。
  • 1894年 小説『大つごもり』を発表。
  • 1895年 小説『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』を発表。
  • 1896年 『文芸倶楽部』に『たけくらべ』を一括掲載、森鴎外や幸田露伴らが絶賛。しかし、肺結核が進行しており、11月23日に死去。享年24歳。



グレーテルのかまど 樋口一葉の“駄菓子”を作ってみよう!

いくつになっても、素朴な味と可愛らしさに心ときめく駄菓子を作ってみましょう!

味わいの決め手は、「つい手が出ちゃう 心ときめく素朴な味!」です。

まずはきなこ棒

1.砂糖ときなこをボウルに入れて混ぜ合わせます

2.みじん粉に、塩、砂糖を混ぜます。
みじん粉とは、薄く伸ばしたお餅を熱で乾燥させて粉末にしたようなものだそうです。

3.2.に熱湯を加えてどんどん混ぜていくと、粘りが出てきます。

4.粘りの出たみじん粉を、1.のきなこのボウルに入れて、手で揉み込んでいきます。

[掟1:手早くしっかり]生地が硬くなるので、手早く揉み込みます。

5.ひとまとまりになったら、厚さ1センチメートルほどに伸ばします。

6.幅が1センチ、長さが4センチから5センチぐらいに切り分けた棒に、きなこをまぶし、
つま楊枝(つまようじ)を挿します。

【材料】
<きなこ棒(1cm角×4.5cm 約20本分)>
きな粉          50g
上白糖①           50g
みじん粉             8g       ※寒梅粉でも可
上白糖②           10g
食塩         0.5g
熱湯         25ml
(出典:レシピ – グレーテルのかまど – NHK
~樋口一葉の駄菓子屋~より レシピ監修 日本菓子専門学校 小野 礼司 先生)

 

次に紅梅焼きです。

紅梅焼きは、浅草の浅草寺に紅梅の銘木がありましてそれに理買ったら代表馬になったと言う江戸時代のお菓子です

生地は重曹で膨らませます。重曹は、加熱すると炭酸ナトリウムと水、二酸化炭素に分解され、その時に発生する二酸化炭素が生地を膨らませます。どら焼きの皮も重曹を使って膨らませています。

1.砂糖に重曹を混ぜます

2.卵をほぐしたボウルに1.を加えて40度の湯煎にかけて溶かします。

3.ボウルを冷水につけて冷やします。暖かいまま混ぜると、粘りが出て膨らみにくくなります。

4.3.に薄力粉を入れ、粉気がなくなるまで混ぜあわせます。

5.最後は手でまとめ、ラップで包んで、常温で30分寝かせます。

6.30分たったら、綿棒で3mmの厚さに伸ばします。
生地が3mm以上だとしっかり火が通らない、また、3mm以下だと焼きすぎて、硬くなってしま
います。

掟:3mmをキープ

7.梅の型で抜きます。

8.余分な粉を刷毛で払って、ホットプレートで1分半から2分焼きます。膨らんできたら、ひっくり
返し、裏も1分半ぐらい焼けば出来上がりです。

材料
<紅梅焼き(直径4cm 梅抜き型約40個分)>
卵液       27g
上白糖    70g
重曹       0.5g
薄力粉    100g
(出典:レシピ – グレーテルのかまど – NHK
~樋口一葉の駄菓子屋~より レシピ監修 日本菓子専門学校 小野 礼司 先生)

 

寒天ゼリーを作ります。

1.鍋に水を半分入れて、粉末寒天を入れます。その後に、残りの水を入れます。
水を2回に分けて入れる理由は、寒天を入れると浮いてくるので、それを沈めるためです。

2.火を入れて、寒天を煮溶かします

3.沸騰してきた時に、寒天が溶けているかを確認します。

4.3.に砂糖を加えて、500グラムが370グラムになるまで、煮詰めていきます。

5.4.に沸騰寸前の温度にした水飴を入れます。混ぜやすいように、温度差がないようにします。

6.5.に食紅などで、色をつけます。色をよく混ぜたら、型に流し入れ固めます。

7.一口大に切って、粉末オブラートをまぶします。

材料
<寒天ゼリー(角トヨ型 36cm×4.5cm×高さ約2.4cm分 1色分の量)>
粉末寒天          6g
水①         200ml
水②         100ml
グラニュー糖     250g
水あめ      250g
色素         各色適量  青は2滴 赤は3滴ほど

(出典:レシピ – グレーテルのかまど – NHK
~樋口一葉の駄菓子屋~より レシピ監修 日本菓子専門学校 小野 礼司 先生)

グレーテルのかまど」は、「樋口一葉の駄菓子屋」を観て

駄菓子と聞くだけで、懐かしさとわくわくする気持ちで、楽しくなってしまいます。
美味しさと一緒に、駄菓子にまつわる記憶が、その気持ちをよりひきたてるのでしょうね。

無邪気な子どもに夢を与える駄菓子と、樋口一葉が当時見た、現実社会の対比が、小説「たけくらべ」で、悲しいまでに表現されています。

大人になっての現実の辛さの中に、駄菓子屋に駄菓子を買いに行った想い出は、癒しを与えたのかもしれません。

下町情緒が残る谷中の商店街に、1948年から続く駄菓子屋は、夕方になると学校帰りの子供たちで賑わうそうです。

いつの時代の子どもたちにも、夢を与える不思議な力が、駄菓子にはあるんですね。

2代目店主の木村せつこさんは、かれこれ70年ちかく、駄菓子屋に携わっているのだとか。

子どもたちが買った駄菓子を入れる袋は、友人や娘さんが、包装紙で作ったお手製の袋です。

子供たちが、思い思いのお菓子やおもちゃに目を輝かせる駄菓子屋は、家族そして地域の人々によって支えられているんですね。


コメント

タイトルとURLをコピーしました