情熱大陸で野村陽一(花火師)の「全国一斉打上げ~はじまりの花火~」にかける想い

「東京オリンピック2020」の開会式が予定されていた7月24日(祝日・金曜日)。
全国117カ所(当初予定では121カ所)で、午後8時から約1分半、一斉に花火が打ち上げられました。

名付けて、「全国一斉花火プロジェクト〜はじまりの花火〜」。

公益社団法人日本⻘年会議所(JCI)*1が主導し、関係機関や全国の花火業者が連携して、人々を励まし、新たなスタートを切る“あたらしい⽇本がはじまる⽇”になるようにと願って企画されました。

本来ならば、この日は、スポーツの祭典が華々しく開幕して、新しい一歩を踏み出す日になるはずでした。

その代わりに「花火を新たなスタートの合図にしたい」という日本青年会議所の呼びかけに、全国の多くの花火師たちが意気に感じ、奮い立ちました。

3密を避けるために、実施場所は非公表。

花火師たちによる、ひそやかな準備が進められました。

そして当日、この企画をどこからともなく知った多くの人が、それぞれの場所で、いっとき現れた夏の風物詩に歓声をあげ、いつもの夏を楽しみました。

2020年7月26日の「情熱大陸」では、このイベントを支えた花火師「花火師・野村陽一(のむら よういち/久米川和行(くめかわ かずゆき)」が放映されました。

*1公益社団法人日本⻘年会議所(JCI):
リーダーを志す青年経済人の社会活動を目的とする日本各地の青年会議所を会員として組織した公益社団法人である。国際青年会議所加盟。「修練」「奉仕」「友情」の三つの信条のもと、より良い社会づくりをめざし、ボランティアや行政改革等の社会的課題に取り組み、さまざまな活動を展開している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、公益社団法人日本⻘年会議所HP




情熱大陸で、苦境に立つ花火師が放映された

今年は、夏の空を彩る花火大会のほとんどが中止や延期になって、夏の夜が寂しいですね。
花火業界全体が苦境に立たされています。

情熱大陸では、秋田県大仙市の花火師たちにも試練の夏です。

大曲で創業明治34年の花火会社「和火屋」を営む4代目の花火師久米川和行は、
「まさかこんな事態が起きるとは想像もしなかった。仕事はゼロです。コロナが落ち着いたとしても、花火大会は来年の夏までないので、花火業界は1年間仕事がないですね。それまでは、政策金融公庫や地元の銀行からお金を借りまくって何とかしていくしかない」
と語っていました。

厳重に管理された倉庫のいくつもの花火の玉。
出番は、いつくるのでしょうか?

いつもの夏は、東北の花火会場を縦横に車で走り回っているとのこと。
秋田県から、青森県、山形県、岩手県へは、片道車で4時間ぐらいかかるので、花火が夜9時に終わると、夜11時頃にはその花火会場を出発して、深夜3時頃に一旦戻ってきます。

そして、翌日5時には、次の花火会場に出発することもあったそうです。
そうなると睡眠は2時間程度。

日々が、あっという間に過ぎていくのだそうですが、今年の夏は、長い夏になりそうです。

久米川和行のせめてもの慰めは、会社が自粛、休業強いられたおかげで、社長業に追われ、遠ざかっていた花火作りにあてる時間がとれるようになったこと。
火薬の調合に工夫を凝らし、炎が弾ける瞬間をイメージするだけで、暫しほかのことを忘れてしまうとか。

久米川和行の花火の、炭火に似たオレンジ色とパステルカラーを組み合わせた色に、しとやかな日本情緒を感じます。

情熱大陸で、久米川和行を通して知る花火師の心意気と、「全国一斉打上げ~はじまりの花火~」への想い

久米川和行は、花火大会の開催がどんどんと中止や延期になった時、花火師の仕事は世の中に必要ではないのではないかと、一瞬思ったそうです。

しかし、それを口に出した時に、多くの友人たちが、必要とされていなければ、120年も続いていないと怒ってくれたことで、落ち込みながらも、心寂しくなることはなかったそうです。

また、「花火をあげることで、見ず知らずの人が喜んで、元気になってくれるのであれば、決して無駄な仕事ではないと思う」とも語っていました。

苦境を察して、岩手の友人がプライベート花火を依頼してきました。

花火は、火薬を使うために、事故にならないようにしなければなりません。
現地の下見など事前準備は必須です。

久米川和行は、花火会場となる、岩手県久慈市の廃校になった高校のグランドを隈なく見て回り、草刈りが必要か、周囲の建物から安全な距離を取れるか、など問題になるポイントをつぶしていっていました。

また、地元の商工会議所からも小規模な打上げ花火も頼まれていました。
しかし、3密を避けるために、花火大会の告知はできません。
そんな中での実施でも、今の状況で臨む打ち上げ花火には、心が流行ったそうです。
部下の若い花火職人も皆、張り切っていました。

部下の成長がこの業界の未来につながる、とこんな時でも花火業界の未来を信じ、尽力する姿に私は感動を覚えました。

久米川和行の事務所には、松下幸之助、稲盛和夫、落合信彦の本が並び、彼らに心酔しているとか。
「いつもポジティブに!」その心情が、今回の「全国一斉打上げ~はじまりの花火~」の趣旨とシンクロして、参加を決めたことが伺えます。


情熱大陸で、野村陽一の花火に映しだされた人生

日本一といわれる花火師、野村陽一も今回のプロジェクトに賛同した1人です。

野村陽一は、水戸に根ざした花火作りで有名で、“野村ブルー”といわれる、水の都水戸を表現する多彩な青を生み出したことで知られています。

大曲全国花火競技大会や土浦全国花火競技大会で、いく度も内閣総理大臣賞を受賞し、その賞状が並ぶと、歴代の総理大臣の名前がわかるほどです。

一番嬉しかった内閣総理大臣賞は、最初に受け取った小泉純一郎首相からのものだといいます。
賞状には、平成14年10月5日土浦全国花火競技大会で最も優秀であった(総合優勝)と書かれていました。

野村陽一の花火作りから、花火作りの精緻な技を知ることができます。
一瞬のきらめきを描き出すために使う火薬は大きく2種類あるそうです。
1つが、色を操る、“星”と呼ばれる火薬。

“星”は、炎によって様々な色彩を放つ薬剤が、独自の配合で練り込まれています。
天日干しにする際の乾燥の仕方も、長年の極めた勘所があります。

もう一つが、花火の形を決める、“割り薬(わりやく)”。
これで、火薬の威力を調整するのですが、このさじ加減が難しいとのことでした。

今は、名人といわれていますが、思うような色を出すことができずに試行錯誤をした時期は長かったといいます。
苦心の末に完成させたのは、燃え尽きるまでに色が変化する“星”です。

野村陽一の妥協のないこだわりは、2006年8月31日に放映されたNHKプロフェッショナル仕事の流儀に出演した際に取り上げられていました。

花火は上空で開いてから燃え尽きるまで、わずか5秒。
野村はその一瞬の美しさに、極限までこだわる。美しい形、鮮やかな色彩、そして消え際の潔さ。野村はそのために1年間、ひたすら地道な作業を繰り返す。その最たる例が、花火の色を出す「星」と呼ばれる火薬作りだ。

一日0.5ミリずつていねいに火薬を塗りつけ、3か月かけて直径2センチほどに育てる。その間、野村は毎日欠かさず星の成長過程を入念にチェックし、大きさに不ぞろいがあれば、あっさりと捨てる。星の大きさが完璧にそろっていないと、花火の動きにばらつきが生じる。野村はそのことを、決して許さない。

花火の醍醐味は、わずか数秒の1発の花火に技術の粋をつくすこと。
技術の粋を極めたであろう野村陽一が、こんなことを言っていました。
「これが限界だろうと思っていると、また新しい技術がどんどん出てきて、(花火は)不思議な世界です」

奥深い花火の世界が知れます。だからこそ、取り組み甲斐があるのかもしれませんね。

直径2cmほどの一つの“星”は、単なる1色の火薬ではなく、その中は3層になっていて、複雑な色を演出します。
打ち上げられた花火は、五重の色の円(球)に広がり、鮮やかに色を変えながら夜空に消えていくのです。

野村陽一はいいます。
「ストーリー性を持っている“星”なんですよ。ただの色ではない起承転結のある人生みたいに。最後は燃え尽きて、潔く消えるんですよ。だから、作るのが面白い。日本の花火は渋いんですよ。」

日本の花火は、人生を謳うもの。人生を表すから面白い、と言っているように私には聞こえました

野村陽一の人生そのものが、彼の打ちあげる花火に現れているのかもしれません。

そして、7月24日の花火の火薬の色にも、一切の妥協はありませんでした。


情熱大陸 「全国一斉打上げ~はじまりの花火~」に花火師たちが込めたメッセージ

「全国一斉打上げ~はじまりの花火~」の当日、午後8時、悪天候を免れた全国117カ所で一斉に花火が打上げられました。

青森県三沢市の夜空に、久米川和行の淡い色合いの大輪の花火が咲きました。
茨城県笠間市では、野村陽一のブルーが織り成す花火が、幻想の世界を演出しました。
あらゆる光が曰く言い難い色彩をのぞかせて、本人も感無量のようでした。

このプロジェクトに加わった花火師たちの想いは、ただ一つ。
「俺たちが世の中に送るエールを見て欲しい」

北海道むかわ町、神奈川県小田原市、東京二子玉川、大阪舞洲、熊本県玉名市、、、豪雨に苦しめられた熊本の人たちも、うっとりと華やぐ空を見上げていました。

観客から、完成と拍手が沸き起こりました。
元気をもらった。もっと見たかった、さまざまな声が寄せられました。

久米川和行は、観客の喜びの歓声を聞いて、もっと花火をあげたいと、語っていました。

そして、観客の誰もが、再び、花火を歓声をあげながら楽しむ夏の夜が戻ってくることを、誰もが願って見た花火だったに違いありません。

情熱大陸の花火師_野村陽一/久米川和行を観て

華やかな花火は、人生の在り様を映しだし、一瞬で人の気持ちを惹き込んで笑顔にさせ、元気にする。花火の力は計り知れないな、と番組を見て私は思いました。

花火大会は、「悪疫退散祈願」を目的として行われたことが起源と言われています。
鎮魂や復興などの想いをのせて、人々を力づけるために打ち上げられてきた歴史があります。

2020年6月1日にも、全国一斉に花火を打ち上げる「Cheer up! 花火プロジェクト」が、行われました。
これは、日本全国の花火業者が、コロナの終息を願い、花火を見上げてひとりでも多くの人に、花火を見上げて“笑顔”になってもらいたいと、全国各地で一斉に花火を打ち上げるプロジェクトでした。

東日本大震災など災害復興においても花火は大きな力となって、日本の人の気持ちを一つにして、前向きにしました。

いつも新たな一歩となる花火の打ち揚げ。

7月24日の花火もまた、その名のとおり、新しい始まりのスタートの合図として、いつかきっと振り返る時がくると思っています。

 


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